陶器の話

「作意が見えていないか?」~器の見方

maruzo_kun

作意が見えていないか。言い換えると、わざとらしくないか?と言う事です。これはあくまでも個人的なこだわりのお話なので、それが良いとか悪いとか言うテーマではないのですが。例えば以前雑貨屋さんで、ふわふわと手作り感を出しているカップを見つけました。

例えばこういう感じのカップ、見かけますね。これはこれで、こういうデザインとして良いと思うのですが、これが”歪んでしまった”のなら面白いのになと思うんです。例えば落としてしまったり倒してしまったりして偶発的に生まれた形には、真似する事の出来ないリアリティが宿る気がします。その歪みの中にも、イキイキとした命が存在しているように感じるわけです。あとから意図的に凹ませたりするのとは全く違うんですね。
意図=作意です。偶然出来てしまった形を次に全く同じものを作ろうとしても、出来ません。そういう事なのかなと思っています。

ぼくはろくろをゆっくり回します。水引きではなく一個引きだという事もありますが、いろいろな理由からあまり早くは回しません。

水引きとは、こうやって土の上部で作っていくやり方の事です
一個引きとは文字通り、一個ずつ作ります

ゆっくり回すと作業が安定しません。また土の硬さも場所によって少しずつ違ったりします(菊揉みをしないからですが)。そういう中で一生懸命作るので、出来上がるものはどれも不揃いでふわふわしています。その柔らかさが、後からでは出せないんですね。作っている時にしか生まれてきません。まるぞう工房はそういう考えで、ふわふわしています。

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まるぞうくん
まるぞうくん
ねずみの男の子
まるぞうくんは、一緒に暮らしているお兄さんがやっている、陶芸をいつも見ていました。

そうするうちに自分もやりたくなっちゃって、教えてもらって始めたのでした。
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