「一番いいのは稽古三味線」
「稽古三味線」と言うものがあるそうです。これは楽器の種類のことではなく、練習している時の三味線の音のこと。演奏に力が入っていないそうなんですね。本番はどうしても気が張っていたり、緊張したりするもの。
ピアニストでも何でも本番の演奏が一番実力を発揮させるべき場であるのは間違いないですし、誰もが最高の演奏を目指します。だからもちろん本番の演奏は素晴らしいです。稽古三味線が一番いいとタイトルには書きましたが、なのでこれが文字通り一番素晴らしいと言う話ではなく、本番では耳に出来ない何とも言えない力の抜けた演奏が、とても魅力的だと言うお話です。演奏を途中で止めたりすることもあります。
しかもそう言う演奏が、祇園の路地などを歩いている時に、お茶屋さんの二階から洩れ聞こえてくる。そう言う聞き方が最高に“おつ”なわけです。また「影行燈」と言う言葉を聞いた事があります。お座敷で三味線を演奏する時に、敢えて姿を見せずに一枚敷居を隔てたところから演奏するそうです。不完全なものを楽しんだり、こう言う嗜み方をするのは日本独特な気もしますが、でも確かに理解出来ます。
そもそも普段は稽古三味線なんて聴けませんよね。自分たちが聞くことが出来るのは、ピアノでもバンドでも基本的には「本番」です。実は本当に良いものって耳に出来ていないのかもしれないし、目にしていないのかもしれません。ものづくりにおいての作品も、見えるところに出てくるもの、つまりお店などに並んでいて手に取れるところにあるものは既に「完成品」です。前述の表現で言うと、「本番用」なんです。でもこれも果たして、本番用が本当に一番素晴らしいのでしょうか。もしかしたらそこより少し前に、最も良い作品が存在していると言うことはないのでしょうか。
何が良いかと言うのは価値観であり、戦国時代なら茶碗が一国と同等の価値を持っていた事もあるくらい、時代によっても国によっても、そして勿論人によっても変わるものです。ただそんな中で自分は、「力の入っていないもの」に価値を求めたいし、生み出していきたいと思います。