季節感がなくなってきました
maruzo_kun
まるぞう工房
前回のブログで、自然から学んでおけば下手に間違うことはないと言う話をしていました。これは、造形に対しても日頃から感じていることです。よく父ともそんな話をしています。ドングリ、卵、ひょうたん、アゲハ蝶の羽の形、松ぼっくり、石、落ち葉、蓮のタネ(あれはちょっと気持ち悪い)。同じドングリでも、みんな形は違っています。同じニワトリの卵だって、長細かったり丸かったり大きかったり小さかったり。でも、全て完璧なんですよね、形が。カーブとか、何かしらの配置とか、同じ形は二つとないのに、とにかく全部が完璧な形をしてるんです。バランスが見事。
で不思議なことに、これが人間は作れないんです。そういう自然が作り出すものを見本に作ってみても、見れたもんじゃない!ってなるんです。
そう言えば松の木なんかも”正に”って感じです。あれだけうねっていても、もしくは松の木なのにほんの少し曲がっている程度だけであっても、そのバランスは見事。バランスが取れてるんですよね。
自然の作り出すものはどうして完璧なのか、その答えは一つだと思っていて、それはその形が一番強いから。もしくは、自然に一切逆らわないように生きている。卵なら割れないこと。タネなら潰されないこと。最も効率よく種を蒔くため、風を受けて飛ぶための形。松なら風の向くまま、気の向くまま。その結果強く、美しい松に育つんですね。松の様に生きたいものです。